よしやおくるとも

たいせつなものがなぜたいせつか。考えて、いつか確認する時のためのブログ

「聞く」ことで「受け止める」

 

どうしたらよかったんだろう。

 

自分が何もできないことは嫌というほど自覚しています。けれども、面と向かっているときに、正面から、助けを求められたことが初めてで、頷いて抱きかかえることしかできませんでした。内心はたじろいだままで。

 

最高の反応だったとも、最善の対処だったとも思わないけど、「聞く」ことと「受け止める」ことはしたいと思っています。

 

自分の中で、考えがぐるぐると巡り、それが頭を覆う感覚だと言います。しかも、巡る考えは、絶望感や無力感といった、ネガティブなもの。それを振り払おうとするほど意識してしまう。だといって、「そういうものだ」と割り切ることも難しい。

 

自分の中でいっぱいになってしまった時は、「聞く」ことで「受け止める」から、私にも分けてほしい。

運良く、私はまだ健康なほうにいるから、自分以外のものも持てる余裕があるし、ダメだと思ったら早めに外を見て、周りに頼ることができる。

 

抱えてるものが少しでも軽くなって、それに潰されてしまわないように、できることをしたいと思っています。

自分は邪魔かも?から考える

皆さんは、甲斐甲斐しく世話を焼くタイプですか?

それとも黙って影から見守るタイプでしょうか?

私は、気になる他者に対して、「良かれ」と思って行動してしまう性分です。だから、些細なことでも何かあれば連絡したいし、会えるならたくさん会いたいと思ってしまいます(ここでなんとなく伝わると思うのですが、たぶん私ってちょっと重い笑)。

ですが、そんな自分にひとつの言葉が降ってきました。

 

「それって相手にとっては、邪魔なんじゃないの?」

 

うわぁ、盲点。

 

 

相手にとって「よかれ」と思っていたことが、「邪魔」なんだとしたら。

それって、私がこれまでやってきたことやこれからやりたいと思っていること、果ては自分の存在までもが、相手にとって邪魔なのかもしれないと、一気に思考がマイナスの方向へ駆けあがりました(駆け落ちた、が正しいのかな)。

 

それに思考に拍車をかけたのが、自分の業務環境と今日の仕事内容。もともと1人部屋だし、今日は急いでやる仕事もない。誰かと顔を合わせる予定は勤務時間中で1時間弱。こういう時、単にボーっとしていられればラクなんだろうけど、それってすごく至難の業なんですね。かといって、何か別のことして気持ちを紛らわせようと思っても、思考に引っ張られちゃう。勉強しようかとテキストを開いても、気はそぞろなままで全然集中できないし、マイナスなループに巻き込まれて、暗くてねばっこいところに引きづられそうな感覚でした。

 

これはいかん!と思って、最近よく相談させてもらっている友人へSOS。

 

こより:なんか、自分が邪魔なんじゃないかと思っちゃう。

友人:いや正直ね、(中略)悪く言えばじゃまなんだとおもうよ!

(私の受けた衝撃を視覚化すると、こんな感じ↑笑)

 

おぉう、直球…。

 

 

 

でもそこで気づきました。私は「そうじゃない」って言われたかった。「邪魔かもしれない」自分の存在価値を、誰かに肯定してもらいたかった。ある特定の人にとって「邪魔かも」という思いが、あらゆる人にとって「邪魔かも」、もしくは「邪魔なんだ」というところまで、拡大適用されていました。それが友人の言葉で、剥がれ落ちました。

 

友人は続けます。

友人:ただその場合は(中略)、自分がいやでしかたないし、回りぜんぶがじゃまなんだとおもう。

友人:「なにもかもがいや」で「何をしたらいいかもわからない」で「自分はなんてだめなやつなんだ」だからなぁとおもうよ。

友人:でも落ちてるときはぜんぶいやになるけど、浮かんでくるときには絶対こよりちゃんが浮き輪になってくれてるんだろうから、大丈夫だよー!

 

この友人は、今の私と似たような状況を過去に経験しています。同じような経験をしていることもあって、その友人からの言葉は本当に今の私にとっての支えです。なにより一つひとつの言葉が私にとってあったかい。文章のあったかさって絵文字とかスタンプじゃないんだなって、この友人と話していると実感します。人柄がそのまま文になってる感じ。

そして、連投の最後に一言。

 

友人:でもわたしがそばにいたいんだから仕方ないよ!笑

 

そうです、そうでした。

 

 

目の前のことに気を取られて、見えなくなっていました。

前から相手がしんどさを抱えていることは知っていました。それでも構わないから一緒にいたいと願ったのは、他でもない私。そして、しんどい日がいつかは明けると信じているのも私。

 

i-mustard.hateblo.jp

既読がつけば泣くし、返事があればもっと泣くし、調子がいいと聞けばもう嗚咽。

あまり情感豊かではない私の心を(良くも悪くも)揺さぶってくれるし、そのおかげで人間らしくなれるし、生活のほかの面も楽しくなる。そんな人は他にいないと思っています。

 

 

たしかに、邪魔かもしれない。でもそれは「いつも」じゃないはずで。だから、隣に居てもいいのかなって思えたんです。

そして、またいつか自分が「邪魔かも」と思ってしまった時には、なるべく邪魔にならないような関わりを持ちたい。ぴったりくっつくことはしないけど、近くにいることが伝わるように。いつでも頼っていいことが伝わるように。

 

まぁ、実行するのは難しいですよね。

私が30年近い人生で作ってきた対人関係の持ち方を変えなきゃいけない面も出てくるとは思います。長い時間をかけて作ってきたものの形を変えることの難しさは、対人援助の仕事をしていても感じるところです。

でも、これからの人生、どこかで変えなきゃいけないのだとしたら? もしそうなら、今、この人のために変えることが一番有意義な気がするし、この人のためなら変えられるし、変えたいと思う自分がいます。そんな自分を信じて、ちょうどいい距離感を見つけていきたいです。

 

またきっと、ここでウダウダ言うとは思うけど、今日はここで決着つけました。

眠りを誘う安心感

私用で実家に帰ってきています。

 

一人暮らしに必要なものを集めて荷物を準備し、明日は実家から車で直接通勤します。夕食を食べて、家族で団欒し、お風呂に入って、今はもうベットの上なのですが、これが猛烈に眠い(笑)

 

そこでふと思うのです。

 

 

安心感があってこそ人は落ち着いて眠ることができるのではないかと。

 

自分に危害を加えそうなものとは距離が取れていて、安心できるものに囲まれていること。

それが確信できる時、人は本当にリラックスして眠れるのではないかと思うのです。

 

安心して眠ることが難しい人が確かにいて、それで苦しんでいる人も多いと思うのです。

そんな人には、自分にとって落ち着ける環境がどういったものなのか。そういったことを見つめ直すチャンスと捉えて、少しでも肯定的な意味を見つけてほしい。

 

そのために、自分にできることがあれば全力を尽くしたいと思っています。

違うという多様性を許容すること

同じなのにどうしてわかりあえないのか。

 

そう思うと苦しくなってしまうばかりだと思うのです。"同じだ"という前提に立つことは、ある種私たちの希望がそう思わせていることもあると思っています。

 

同じはずなのにどうして考えが違うのか、どうして伝えたことがうまく受け取ってもらえないのか、私たちは"同じ"のはずなのに…。

 

そんな時、同じではなく、違うという前提に立つこと。必要なのはそっちではないかと思っています。

 

すべてを分かり合うのはきっと難しくて、同じ遺伝子から生まれた一卵性双生児だって、お互いをわかりあえないことだってあると思うのです。

だとすれば、遺伝子も育ってきた環境も違う人同士がすべてを分かり合うのは人生をかけても難しいことなのかもしれません。

 

そこで必要なのは、わかりあえないことに苛立つのではなく、それを許容していくことなのだと思います。

「私はこう思っている、そしてあなたはそう考えている」

それはこれまでのお互いの育ち方から生まれてきた考えであることも多いと思います。だとすればそれをすり合わせていく事は可能かもしれないけど、かなりの労力を伴うものだと思います。

そこをすり合わせていく努力をするのか、それとも、お互いの考えが違うことを知って、その上でそのままでよしとするのか。それはお互いが、これからどのような関係で関わっていこうと思うのか、その関係を続けていく上で、その考えをまとめた方が良いのか、あるいは多様性として許容していくのか、その都度判断していくものなのではないでしょうか。

 

考えが1つであることのデメリットもあると思います。意思統一をしていくべきなのかどうか、その状況状況によって丁寧に考えていくべきなのではないかと考えます。

 

f:id:i_mustard:20180704221718j:image

あなたはあなたで

がんばることを誰かと比べる必要なんてないと思っています。

 

誰かにとっては当たり前でも、その人にとってはものすごく努力した結果かもしれなくて。

それを周りの人の基準からだけで見て「取り立てて褒めることでもない」とか、「他の人はもっとうまくやっている」とか、大勢の人にとっての"普通"と比べる必要なんてないと思っています。

 

あなたにはあなただけの経緯があって、そこから何とか頑張ろうとしているのです。その努力をわかっている私が、あなたの努力を正当に評価しないでいられるでしょうか。

大勢の人の"普通"に、今すぐには追いつけないとしても、あなたはあなたなりに頑張っていて、それが少しずつ結果として現れている。そのことをあなたと一緒に、もしくはあなた以上に喜びたいと思うのです。

 

あなたがあなたのペースで頑張ってくれればそれでいい。それで辛いときには支えたいし、嬉しいときには一緒に喜びたい。

私が今求めているのは、周りの人にとっては些細な、でも私にとってはとても大切なその一点なのです。

 

あなたが穏やかに眠れて、爽やかに目が覚める。

 

そんな日が1日でも多いことを、心から願っています。

空がどこまでも青いから

お題スロットに導かれて、お題「もう一度見たいドラマ」について。

 

冒頭で言っちゃいますが、最近はあまりドラマを見なくなりました。ゴールデンタイムまでには帰ってこれることが大半だけど、見たいものがないんです。バラエティもそんなに見ない。スポーツ好きなので、今はW杯を見たり、野球中継を見たりしてます。

 

そんな私がもう一度見たいドラマ……。

主役の性別を問わずお仕事系が好きで、あとなぜだか自分でも分からないけど、空港の話が好きです。

この話で、多くの人が思い出すのはたぶんこれじゃないかな。

大好きでした。

新海さんも好きだけど、堤さん演じる香田さんが渋くてカッコよくてねぇ…。最終話、黒木瞳さん演じる富樫さんと香田さんが、飛行機の座席で肩を寄せ合って、どこに旅行に行くかっていう話をしているシーンがお気に入りです。あぁでもない、こうでもないと言い合える相手が隣にいるということの幸福感を噛み締めてる、富樫さんのあの様子…。

うん、好き。

 

でも、私にとってのお仕事系+空港のドラマといえば

ビッグウイング - Wikipedia

がスタートでした。

 

今ではなかなか信じられないけど、内田有紀さんが、おたんこナース観月ありささんなみに、できない役をやっていました。ストーリーとしては、新人のグランドスタッフが成長していく物語です。第一話で山田花子さんが出産するシーンがあって、その印象がなぜか強いのですが(笑)

 

どちらの作品も、成長しようとする人達と、どこまでも抜けていく空の青が自分の中でリンクしていたように思います。

 

 

ハケンの品格とかリッチマン・プアウーマンとかのお仕事系も好きです。

木更津キャッツアイタイガー&ドラゴンは、DVDBOXを買うほどハマりました。

これらの作品はまたどこかで、好きなポイントが書けたらと思います。

音声認識アプリでレポートを書く

新生活が始まって2ヶ月が過ぎ、疲れが出てくるころかもしれません。最近は、6月病って言葉がはやってますね。かく言う自分も、一昨日の夜中に38度まで熱が出て、昨日は仕事をお休みしました。(今日は無事?出勤しています。)

これを読んでくださる皆さんもどうぞご自愛くださいませ。

 

そんなときでも、学生さんはレポートを書いたりとか忙しいのではないかと思います。

レポート書く時に面倒なことのひとつに、タイピングがあるような気がします。スマホ全盛期の時代にあって、パソコンってちょっと面倒なものに変わりつつあるし、「タイピングより、フリック入力が速いわ!」って人もいるかも…。

 

そんな人に、音声認識アプリでレポートを書く方法を勧めたい!

おススメのアプリは…

UDトーク | コミュニケーション支援・会話の見える化アプリ

です。

今は多言語翻訳などにも力を入れていますが、もともとは、耳が聞こえにくい人・聞こえない人とのコミュニケーションツールとして出発しています。そのため、声での日本語が聞きとりにくい人のために、スマホに吹き込んだ音声を文字に変えて表示してくれます。

 

操作も簡単だし、作った文章をメールで送ることもできます。

私は、

お風呂でUDトークを起動して、レポート課題についてしゃべる。

→UDトークが文字化する。

→作った文章をメールで自分のアドレスに送る。

→文章を文書作成ソフトに貼り付けて体裁を整えたら完成!

という方法でレポートを作っていました。思いついたことをつらつら話せばいいので、つい話しすぎてしまって、提示された枚数制限を越したこともあります(笑)

 

同期には「お風呂ぐらいちゃんとリラックスして!」と怒られたこともありますが、これのおかげで院生室にいる時間が短くて済むので、結果としてはトントンでした。

レポートがたくさん課される方、いろんな制約があって時間管理に苦労している方、何から書いていいか分からない方に、試してみてほしいなぁと思うのです。

 

 

そして、願わくば常にスマホにそのアプリを入れておいてもらって、困っている難聴者・ろう者と出会った時に、使ってほしいと思っています。