違うという多様性を許容すること
同じなのにどうしてわかりあえないのか。
そう思うと苦しくなってしまうばかりだと思うのです。"同じだ"という前提に立つことは、ある種私たちの希望がそう思わせていることもあると思っています。
同じはずなのにどうして考えが違うのか、どうして伝えたことがうまく受け取ってもらえないのか、私たちは"同じ"のはずなのに…。
そんな時、同じではなく、違うという前提に立つこと。必要なのはそっちではないかと思っています。
すべてを分かり合うのはきっと難しくて、同じ遺伝子から生まれた一卵性双生児だって、お互いをわかりあえないことだってあると思うのです。
だとすれば、遺伝子も育ってきた環境も違う人同士がすべてを分かり合うのは人生をかけても難しいことなのかもしれません。
そこで必要なのは、わかりあえないことに苛立つのではなく、それを許容していくことなのだと思います。
「私はこう思っている、そしてあなたはそう考えている」
それはこれまでのお互いの育ち方から生まれてきた考えであることも多いと思います。だとすればそれをすり合わせていく事は可能かもしれないけど、かなりの労力を伴うものだと思います。
そこをすり合わせていく努力をするのか、それとも、お互いの考えが違うことを知って、その上でそのままでよしとするのか。それはお互いが、これからどのような関係で関わっていこうと思うのか、その関係を続けていく上で、その考えをまとめた方が良いのか、あるいは多様性として許容していくのか、その都度判断していくものなのではないでしょうか。
考えが1つであることのデメリットもあると思います。意思統一をしていくべきなのかどうか、その状況状況によって丁寧に考えていくべきなのではないかと考えます。
あなたはあなたで
がんばることを誰かと比べる必要なんてないと思っています。
誰かにとっては当たり前でも、その人にとってはものすごく努力した結果かもしれなくて。
それを周りの人の基準からだけで見て「取り立てて褒めることでもない」とか、「他の人はもっとうまくやっている」とか、大勢の人にとっての"普通"と比べる必要なんてないと思っています。
あなたにはあなただけの経緯があって、そこから何とか頑張ろうとしているのです。その努力をわかっている私が、あなたの努力を正当に評価しないでいられるでしょうか。
大勢の人の"普通"に、今すぐには追いつけないとしても、あなたはあなたなりに頑張っていて、それが少しずつ結果として現れている。そのことをあなたと一緒に、もしくはあなた以上に喜びたいと思うのです。
あなたがあなたのペースで頑張ってくれればそれでいい。それで辛いときには支えたいし、嬉しいときには一緒に喜びたい。
私が今求めているのは、周りの人にとっては些細な、でも私にとってはとても大切なその一点なのです。
あなたが穏やかに眠れて、爽やかに目が覚める。
そんな日が1日でも多いことを、心から願っています。
空がどこまでも青いから
お題スロットに導かれて、お題「もう一度見たいドラマ」について。
冒頭で言っちゃいますが、最近はあまりドラマを見なくなりました。ゴールデンタイムまでには帰ってこれることが大半だけど、見たいものがないんです。バラエティもそんなに見ない。スポーツ好きなので、今はW杯を見たり、野球中継を見たりしてます。
そんな私がもう一度見たいドラマ……。
主役の性別を問わずお仕事系が好きで、あとなぜだか自分でも分からないけど、空港の話が好きです。
この話で、多くの人が思い出すのはたぶんこれじゃないかな。
大好きでした。
新海さんも好きだけど、堤さん演じる香田さんが渋くてカッコよくてねぇ…。最終話、黒木瞳さん演じる富樫さんと香田さんが、飛行機の座席で肩を寄せ合って、どこに旅行に行くかっていう話をしているシーンがお気に入りです。あぁでもない、こうでもないと言い合える相手が隣にいるということの幸福感を噛み締めてる、富樫さんのあの様子…。
うん、好き。
でも、私にとってのお仕事系+空港のドラマといえば
がスタートでした。
今ではなかなか信じられないけど、内田有紀さんが、おたんこナースの観月ありささんなみに、できない役をやっていました。ストーリーとしては、新人のグランドスタッフが成長していく物語です。第一話で山田花子さんが出産するシーンがあって、その印象がなぜか強いのですが(笑)
どちらの作品も、成長しようとする人達と、どこまでも抜けていく空の青が自分の中でリンクしていたように思います。
ハケンの品格とかリッチマン・プアウーマンとかのお仕事系も好きです。
木更津キャッツアイとタイガー&ドラゴンは、DVDBOXを買うほどハマりました。
これらの作品はまたどこかで、好きなポイントが書けたらと思います。
音声認識アプリでレポートを書く
新生活が始まって2ヶ月が過ぎ、疲れが出てくるころかもしれません。最近は、6月病って言葉がはやってますね。かく言う自分も、一昨日の夜中に38度まで熱が出て、昨日は仕事をお休みしました。(今日は無事?出勤しています。)
これを読んでくださる皆さんもどうぞご自愛くださいませ。
そんなときでも、学生さんはレポートを書いたりとか忙しいのではないかと思います。
レポート書く時に面倒なことのひとつに、タイピングがあるような気がします。スマホ全盛期の時代にあって、パソコンってちょっと面倒なものに変わりつつあるし、「タイピングより、フリック入力が速いわ!」って人もいるかも…。
そんな人に、音声認識アプリでレポートを書く方法を勧めたい!
おススメのアプリは…
UDトーク | コミュニケーション支援・会話の見える化アプリ
です。
今は多言語翻訳などにも力を入れていますが、もともとは、耳が聞こえにくい人・聞こえない人とのコミュニケーションツールとして出発しています。そのため、声での日本語が聞きとりにくい人のために、スマホに吹き込んだ音声を文字に変えて表示してくれます。
操作も簡単だし、作った文章をメールで送ることもできます。
私は、
お風呂でUDトークを起動して、レポート課題についてしゃべる。
→UDトークが文字化する。
→作った文章をメールで自分のアドレスに送る。
→文章を文書作成ソフトに貼り付けて体裁を整えたら完成!
という方法でレポートを作っていました。思いついたことをつらつら話せばいいので、つい話しすぎてしまって、提示された枚数制限を越したこともあります(笑)
同期には「お風呂ぐらいちゃんとリラックスして!」と怒られたこともありますが、これのおかげで院生室にいる時間が短くて済むので、結果としてはトントンでした。
レポートがたくさん課される方、いろんな制約があって時間管理に苦労している方、何から書いていいか分からない方に、試してみてほしいなぁと思うのです。
そして、願わくば常にスマホにそのアプリを入れておいてもらって、困っている難聴者・ろう者と出会った時に、使ってほしいと思っています。
ひとりでできるもん…
就職とともに1人暮らしをしています。週末は誰かと(というか、特定の人と)過ごすことが多く、振り返ってみると4月からこれまで、1人の週末がありませんでした。
そんななか、先週末はふいにひとりぼっちの時間になりました。
久しぶりのひとりの週末を、私がどう過ごしたのか、何を思ったのか。
あの2日間を振り返りながら書いてみようと思います。
=土曜日=
*7:30ごろ
予定がポシャッたのを確認。
LINEで確認したあと、すぐに思ったのは
「今日はもう終わりでいいよ」ってこと(笑)
そのあとは布団の上で号泣。
なんか、この世の終わりって感じだったんです。
会いたい人に会えないこと、苦しんでる人に何もできないこと、あまりに自分が無力だということ、そのすべてが全部一緒にのしかかってきて、自分に腹を立てて泣いていました。
そのあとに思ったのは、
「"今日"が自分の中に存在しなかったことにしよう」。
このまま不貞寝して、1日を無碍に過ごしてやろうと企み、布団でごろごろしていました(前夜、木更津キャッツアイを全部見たせいもあるけど)。それでいいって思ってたんです。思ってたはずなのに、どこかで「いいのか?それで」という、反語的な思いも同時に存在していました。そして結局、後者の思いが勝ちました。
*11:30ごろ
布団を跳ね除けて起床。
窓を開けると、運動会をしているらしい小学校から、大塚愛のさくらんぼが聞こえました。
朝昼兼用の食事を準備。
ホットケーキミックスが残っていて良かった。なにもなかったら、また不貞寝に戻ってしまっていたかも。ホットケーキを焼いて、お茶をいれて、食事を取りました。
お茶をいれて、撮りためていた「おっさんずラブ」を視聴。
これまで「おっさんずラブ」を見ていなくて良かった。見ることをTwitterで宣言したら、友達から「武川主任がお勧め」「牧くんがけなげで…!」とのリプライがあり、見る前の楽しみもありつつ、自分に関わってくれる人の存在にも気づけました。
*15時ごろ
車でちょっとお出かけ。
「外に出るか」と思える気持ちになっていました。どうせ家にいても、いろいろ考えてしまうし、という思いもあっての決行でしたが、生活雑貨や化粧品・食料品を買って、1時間半後に帰宅。テレビで交流戦を見ながらごろごろして、ちょっと仮眠しました。
*夕食後
「おっさんずラブ」の最終回を見てから、就寝。
=日曜日=
*10時~
資格試験の勉強会。
休みの人が多かったけど、開催してもらって良かった。人と過ごせて、やることがあって、っていう時間に救われました。
*13時ごろ
帰宅途中に、「どうせ時間あるし…」と思い立ち、前から行きたかったパン屋さんに寄り道。お昼ごはんと平日の朝ごはんにする食パンを買って、帰宅しました。コーヒーと一緒に昼食を取り、また交流戦。見る番組があって本当に良かった。
*17時過ぎ
作りたい料理が浮かんだので、スーパーにお出かけ。一品作ってから、晩ごはんを取りました。
=振り返って思うこと=
「ひとりでも過ごせた!」というちょっとした達成感があります。
金曜日から怪しいかもなぁ、とは思っていて、だから木更津キャッツアイを全話見たんだけど、それでも土曜日の朝にのしかかってきた虚無感はすごくて。。
それでも、2日間、実際の人やテレビ、SNS、果ては食材にも支えられて、ひとりで過ごせたことは、自分の自信にもなったし、精神衛生上も良かったんじゃないかと思っています。
それでもやっぱり、本心は寂しくて。2人がよくて。
ひとりでも過ごせる時間を、2人で過ごせたらどんなに幸せか。
それを痛感させてくれる機会にもなって、次に2人で過ごせる時間が待ち遠しくなりました。
2人の時間を楽しんだり、その時間の大切さを知るために、今回のひとりの時間があったんだと、そう思いたいです。
もしも別の出会い方があるとして…
何度生まれ変わったって、僕は君を見つけ出す
…みたいな甘いせりふ、ありますね。
(甘いかくどいかは人によるかと思いますがw)
ある共通項がきっかけで出会うことがあると思います。
友人となる人と、同僚となる人と、恋人となる人と…。
その共通項が、仮になかったとしても、自分とその人は出会えるものなのか。
向こうは絶対出会ってる、と言うけれど、なんとなく私はそう思えなくて。
これは、その違いを考えるための記事です。
たとえば、何かの当事者で、それにまつわる活動したいと思っているAさん。
Bさんは同じ当事者ではないけど、その人達を支えたいと思っています。
2人は共通の知り合いで、かつ、Aさんと同じ当事者であるCさんに誘われて、
ある活動で出会います。
その後、意気投合してプライベートでも遊ぶ仲になりました。
というこの場合、共通項は
・活動の志向性が同じであること。
・対象(この場合、当事者の種類)が同じであること。
があると思われます。
この共通項がなかったとしたら…?
・AさんはCさんと知り合いじゃないだろうし、知り合いだとしても活動に呼ばれるほどの仲ではないような気がする。
・そうなれば、BさんがCさんに誘われたところで、Aさんとは知り合わないし、したがって、プライベートで遊ぶ仲にもならない。
と私は思うんです。
じゃあ、なんで相手は「絶対出会ってる」と断言するのか、できるのか。
向こうの言い分はざっとこんな感じ。
・自分が当事者じゃなくても、家族がそうかもしれないし。
・家族がそうなら、関心を持って同じ当事者と知り合ってるかもしれない。
・仮に同じところに関心がなくても、それだけで仲良くなったわけじゃない。
おや…。
それって、共通項なんてあってないようなものなのでは?
私たちはともすると、共通項があることに安堵して、仲間になっていくものと思いがちだけど、実のところそうじゃないことのほうが多いのかもしれない。
共通項があることに意味があるんじゃなくて、
出会うことそのものに意味があることだってあるのかも。
共通項は、出会った意味を考えようとする時にただ便利なだけであって、
「共通だ」というところまで話し合える、知り合える関係に
お互いがなってこそ、活きるものなのではないか。
もしも別の出会い方があるとして、
それは別の共通項で出会うのではなくて、
会うべくして会った、と思っていきたいな、と考えるのでした。