よしやおくるとも

たいせつなものがなぜたいせつか。考えて、いつか確認する時のためのブログ

異種格闘技の化学反応

異種格闘技っておもしろい。

あ、テレビの話です。

 

最近は、同じ潮流の人たちが集まって、仲の良さを示しあって、批判もしない、"優しい"番組がたくさんあるなぁと思うのです。

それはそれで見ていて心地がいいし、サラッと見れる。

 

でも優しいということは、言いかえれば生ぬるいということでもあり、自分の成長が期待できないことでもある。

 

なので、異分野の人たちが話し合うところ=異種格闘技を見るのが好き。

 

それをかなえてくれるのが、

SWITCHインタビュー 達人達

というNHKの番組。

 

異分野であればあるほどおもしろい。

同じ分野で、ともすればライバルとなる人が相手なら、ここまで話さないんだろうなって思うことも、異分野・異業種だから言えたり。

 相手が考えていることが、分野や業種を超えて共通していたり。

 

そんな発見があって大好きな番組です。

 

 

録画してた古坂大魔王田原総一郎のSWITCHが面白かったので、今日のブログはこれにします。

 

読んでいただき、ありがとうございました。

よい夜をお過ごしください。

対話が対話になるために

今日はカンファレンスでした。

簡単に言えば、ひとつを取り上げて、みんなで意見交換。

 

自分がテーマを出す番だったのですが

 

怖くてねぇ…

 

だって、自分の意見や考察を書かなくてはいけないし、質問されたことにきちんと答えないといけないし…。

 

そんなネガティヴな気持ちで臨みました。

 

その結果

明るい気持ちで終われました。

 

それまでに持っていた気持ちがネガティヴすぎたせいか、意外でしかなくて。

 

 

でも、それで考えたことが。

 

自分の意見を言うって、話し合うための土台なんだと思いました。

そのテーマを一番見聞きしている(はずの)私がまず出さなければ、周りの人は口の出しようがないし、そうなると他からの意見ももらえない。

 

自分の意見を言わずに、相手の意見だけを聞こうなんて、何様だよって感じだし。

 

そこは最低限のラインでクリアできたのではないかと思います。

 

 

あとは、全部答えられなくてもよくて、それがその“答え”であること。

 

たとえば、言われたことが自分に残っていなければ、それが私にとっての事実であって、反省はしなくてはいけないけれど、その事実も軽んじられるわけではない。

 

…厳然としてある事実、強い。

 

そんなことが分かった気がしたカンファレンスでした。

 

この内容を今後に生かさないといけないし、この話し方も今後身につけていかなくては、とアラサー学生は思うのでした。

同担拒否の社会心理学?

自己評価維持モデル self-evaluation maintenance (SEM) model というものがあります。

 

自分にとって関係が強いものを、同じくらいあるいはそれ以上に遂行する人が現れた場合、どうしますか?

 

社会心理学では、その場合に2つの対処があるとしています。

 

ひとつは、その人を遠ざける方法。

もうひとつは、親しくなってその人の能力を殊更に示す方法。

 

この、遠ざける方法って

同担拒否が起きるときの人の心に似てるんじゃ?

と思いました。

 

自分と同じくらい、あるいはそれ以上に、同じアイドルを応援している人がいる。

その人といると、その人にそのアイドルに関する知識があることが、どんどん外に知れ渡ってしまう。

 

それは今までの自分の立場を脅かすし、居心地も良くない。

 

だからその人と距離をとって、関心を向けないことで自分を守る。

 

そんな心の動きなんではないかと思いました。

 

 

でも実際には、好きになったタイミングやそのポイント、お気に入りの曲とかは違うはずなのに、そこで被ってしまうことを拒む。

 

 

キャラ被りを避ける、と言えばそれまでですが、その背景には自分が自分にしてきた評価(〇〇くんを深く知ってる私)を保つため。

 

自分を守ろうとするその人の気持ちが反映されていると思います。

 

 

そこをもし乗り越えたらどうなるか?

 

同じものを好きな人同士、良好な関係を築けるというのも、社会心理学のトピックなのですが、それはまたいつか。

ハマりものの波

経済には波がある。

家を建てる周期、製造業の機械を入れ替える周期…。

スパンはそれぞれ違いますが、ある波が一斉に来れば大きな潮流を作るという考え。

 

これって、ひととき、関心を向けない時期があるけど何かの拍子に、それにまた関心を向ける周期でもあると思っています。

 

そして、この考え方は、人にも当てはまるかなと思います。

 

 

流行りって戻ってきませんか?

 

 

私は割とそういうタイプで、一度ハマったものに何年か経って、またハマることが多いです。

 

しかも、2回目の方がどっぷりハマってしまうので、欲しいと思った時にはDVDがプレミア化してたりして…。

あぁ、高かったなぁ、Ready?コン(笑)

 

RAG FAIR、V6、バレーボール、高橋一生さん…

 

こんなに戻ってくる自分が分かってくると、次に他のものにハマるのが怖くなって、昔手を出したものを遠ざけるようにすらなります。

 

 

でも、そうなるべき時は呼ばれているときなのだ、と思います。

 

無意識のうちに、それを求めていて、出会うべくして出会って(というか、能動的に会いに行って)、そして深く付き合うのだと。

 

そんなことに、今日中学の時に吹いた吹奏楽の曲を聴きながら、考えていました。

大好きだったなぁ、『じんじん』。

 

ほんとうに大切なものに気づくまでに時間はかかってしまいますが、それが自分のスタイルなのかも、と思っています。

倍速世代

朝、ラジオを聞いていたら「倍速世代」の話が。

様々な映像コンテンツを倍速で見る人が、10~20代の中で増えている。そういう人を指す言葉だそうです。

 

それを紹介したラジオのパーソナリティはちょっと納得いかなそうでした。

 

セリフの間が大事なのに。

泣いたり笑ったり感動できるの?

 

わたしも倍速世代の人間だなと思ったので、私が倍速する理由や倍速世代が増えている理由を考えてみました。

 

1.時間短縮

何よりこれ!

1時間の番組が都合30分で見られる。

録画ならCMも飛ばせるし、もっと短縮できるかも。

 

別に、興味がないわけではない。

興味なかったらまず録画しないもんね。

(動画サイトなら、その動画を見ない)

 

でも、どんな放送だったのかな、っていうのをまず知るのなら、倍速で十分。

そこから選んでいく過程になるのです。

 

 

2.録画する≠残しておきたい

今の録画観が変わってきているのかなと思うのです。

録画も番組表から選ぶだけ、

同時に複数番組の録画もできる、

消すのも簡単。

 

 

そうなってくると、録画している番組全てが、残しておきたいものではなくなってきました。

色んな番組を知りたい、でも時間は有限。

 

そうなると、一つひとつの番組に同じ深さで付き合うのは難しい。

 

そのためにまず倍速、という流れなのかと思います。

 

 

でも、なんでもかんでも倍速か、と言われると例外も。

 

私が倍速するのはバラエティと初見のドラマが中心。

なぜなのか。

 

たぶん、友だちへの話、Twitterでの話についていくためです。

 

そのためには全てをちゃんと理解しなくても、雰囲気で良い。

分からなければ「そのへん流しちゃって…」でいい。

(本来は、「見てなかったんだけど、どんな内容だったの?」と聞けることが望ましいのだと思いますが、変な気遣いかな)

 

その一方、ラジオのパーソナリティが言っていたように、間の大切さは分かります。

コントとか漫才とかは、標準速度。

舞台のお芝居は何回目でも標準速度で見ます。

 

きっと自分なりに間を大切にする番組と、そうではない番組とかあるのかなと思います。

 

 

でも、倍速世代がいいことばかりではないと、思うのです。

倍速で見てしまう人って、没入するのが大変なのではないかと。

 

私がそうなのですが、何かを気合い入れて見ようとするとき、なかなかうまくいきません。

どこにその時間を作るのか、何を準備して…と思うと、見る気がなくなります(笑)

その意味では、サラッと見るのが合っている世代なのかもしれません。

 

対照的に、きちんと見る人はドラマやバラエティの世界にきちんと入って、集中して見れる人なのかな、とも思えます。

 

 

あなたは倍速世代ですか?

どんなメリットを感じていますか?

泉の掘り方

大学院も2年となり、そろそろ現実的な問題なのが就活です。

私のいる領域は、就活のスタートが遅めで、今動いている人はほぼいません。

情報収集はしていますが。

 

そんななか、

ありがたいことに、2つの職場から声をかけていただきました。

 

ひとつは今学んでいる専門分野は活かせるけど、関わりたい領域ではあまりなくて。

もうひとつはその逆。

 

うん…悩むよね。

悩んだ。

 

その結果、ひとつめのほうは辞退しました。

 

なんでか。

 

自分でもわからない。

 

でも、そのことを院の先生と話していて

「かなりそこ(ふたつめのほう)に思い入れがあるのね」って言われました。

 

「思い入れ」

 

自分では当たり前すぎて、もう正体がわからなくなっているもの。

でも、人から見ると確かにあるみたい。

 

 

その流れの中で思い出したことがありました。

 

 

学部のときの話です。

 

卒論発表会の講評で、ある先生がおっしゃいました。

 

汝、足元を掘れ

そこに泉はある

 

誰かの言葉だそうです。

このことばは、「足元にある当たり前のことに気づけ」ということでは収まりません。

 

足元を掘る…

つまり、今自分がまさにいる場所を掘る。

そのためにはどうしたらいいのでしょう。

 

その場で飛んで、浮いている時間に何らかの道具で土を掘る。

 

想像すると無様な画です。

 

人に見られたら、掘るのをやめてしまうかもしれません。

 

 

でもそこに大事なものがあるのだ、たとえその過程は苦しくても、恥ずかしくても。

 

そんなことばだと思っています。

 

 

自分が何をやりたいのか。

はっきりしているようで、でも、それを人に伝えられる自信もなくて。

 

そんな今だからこそ、無様に足元を掘る時期なのかもしれないと、思いました。