よしやおくるとも

たいせつなものがなぜたいせつか。考えて、いつか確認する時のためのブログ

ならび行く人にはよしやおくるとも

ご無沙汰してしまいました。

その間に、ブログのタイトル、変えちゃいました。

 

「よしやおくるとも」

 

先日、明治神宮で引いたおみくじに書いてあったことばです。

 

ならび行く人にはよしやおくるとも

ただしき道をふみなたがへそ

(多くの人々と並んでいく世の中で、たとえ、他の人々にはおくれることがあっても、あまり急いで、正しい道をふみあやまらないでほしいものです)

 

働いてはいるけれど非正規・時給・ボーナスなし、という生活を4年続けてきました。

仕事はそれなりに任せてもらっているし、楽しい部分もあります。

それでも、友だちはボーナスで旅行に行ったり、おいしいものを食べたり…。

SNSでそんな様子を知る度に、今の自分を惨めに思うこともゼロではありません。

(現状の原因が自分にあると分かってはいても…)

 

そんなとき、気休めのおみくじかもしれないけれど、「遅れてもいい。それよりも踏み誤らないこと」と言ってもらったことは、今の自分への大きなエールでした。

 

 

寒くなって、年末や年度末がチラチラと見えてくる時期です。

あーでもないこーでもない、だからってどーしろと、と気持ちが急くことがあったら、

自分のペースを刻みながら、やりたい気持ちに正直に向き合ってみることも、大事かも…。

 

おみくじからそんなことを教えてもらいました。

10年を超えて今…

数日前、TwitterでOrangeとTimelessの歌詞が繋がっている!というツイートを拝見し、鳥肌が立ちました。

その興奮冷めやらぬ中、わたしなりにOrangeとTimelessの関係性を考えてみたくなり、その拙い結果をまとめてみます。それではスタート。
 
 
 
OrangeとTimeless
 
 
 
10周年の節目に発売されたOrange
ここでの「僕」は大きな決意を抱えて立っている。
 
どうなるかわからない、結果の見えない未来への決意。それは不安と緊張を併せ持つ。
だからこそ、僕の手は「少し冷たい」し、胸は「依然高ぶる」状態を脱しない。
 
そして「君」は、決意を持って旅立つ僕が「手を振る」相手であり、「僕」を見送る存在であることはわかるものの、「君」がどんな道を行くのかは描かれていない。
 
ただ、「大人に成り過ぎた」「僕ら」は、旅立たなくてはならず、それを知らせる「鐘の音」を聞いている。
 
 
一方、Timeless
ここでの「僕」は昔の夢を持ち続けながらも、10年の間で傷つき苦しんだ存在である(このへんは、2番の出だし、長野くんのソロがそう思わせる)。
 
そしてふと、「君」も「僕」と同じように傷つき、苦しんだのだと気づき、仲間が迷いながらも進んでいることが誇らしく見えてくるように思える。
 
《誇らしく見える》ことについては、歌詞では特に書かれていない。
ここの論理の飛躍は、今年の2月、日本アカデミー賞を岡田くんが受賞したときに、井ノ原くんが送ったメールで埋めたい。
それ以外にも、「このメンバーのここが好きだ/素敵だと思う」という発言をよく目にする気がする。この類の発言は、仕事への心構えとか各メンバーのポテンシャルの話になることが多い。個々で仕事をすることが増え、それをよく見ているのだろうと思う。
 
話をもどす。
 
「君」が傷つき苦しみながらも、自分の夢を持ち、進んでいることを知った「僕」は、フィールドが違えど、孤軍奮闘している「君」の存在が、大きな支えになってくる。
 
普段は意識しないけれど、つながっている。
姿は見えないけれど、伴走している。
 
そんな心強さを互いに感じながら、「僕ら」はまたそれぞれのフィールドで傷つき苦しみ迷いながら進んでいく。共通の帰る場所とそこに集まる人を思いながら。
 
2作の間にはそんな物語が見え隠れするような気がするのだ。
 
 
舞台を設定するとすれば、Orangeは卒業式前夜、Timelessは同窓会の帰り道。
前者は自分の意思に関わらず、《進まなければいけない》状況があり、そこに照準をあわせて、自分の将来をイメージする感じ。
後者はそこから時間が過ぎ、今までの自分のあり方や支えてくれていた周りを見渡したあと、《自分の意思で歩き出す》感じ。
 
 
そして、卒業式から同窓会までの10年間、曲と同様の歩みをメンバーも経てきたのではないかと思う。
 
新しいステップとして個々の活動が増え、孤軍奮闘のなかで迷い苦しんだとき、他の5人が真摯に物事に取り組む姿が支えになったと思ってしまうのは、都合が良すぎるだろうか、夢を見すぎているだろうか。
 
でも、気心知れた仲間や《帰る場所》があるからこそ、そこに誇れるような仕事をしたい、誇りに思ってもらえる自分でありたいと思う気持ちは、多くの人にあるものではないだろうか。
そして、この《帰る場所》と仲間の存在こそが、「絆」であると思うのだ。
 
 
Super Very Bestの初回限定盤Aには、メンバーが作詞した新曲、「此処から」が収録されているという。
個人活動で得た大きなお土産を持ち寄って、《帰る場所》に集まった6人が、「此処から」なにをスタートさせるのか、今からワクワクを禁じ得ない。
 

V6にハマって

最初のブログで書きましたが、現在、V6にハマっています。

きっかけは、2013年に公開された映画「図書館戦争」。
 
昔から俳優としての岡田くんが大好きでした。
木更津キャッツアイやタイガー&ドラゴン、SPも見ていました。
当時、私は高校3年。受験勉強の最中でも欠かさず。
 
音楽を聴いたこともあります。
小学生のころに、WAになっておどろうを鼓笛演奏しました。
そしてなぜかOrangeは、DVD付きで買っていました。
 
でも、それぞれが一過性であり、ずっと続くことはなかったのです。
 
 
それが瓦解したのが、2013年。図書館戦争を見に行った時です。
表現の自由にアプローチするストーリー性に惹かれて観に行きました。
(きっとどこかで書くときがあると思いますが、「権利」に関心があります)
 
ですが、2時間後、私は買う予定のなかったパンフレットを手に、映画館を出ました。
ストーリーはもちろん、すべてのキャストがステキで、そのなかに社会的なメッセージもあって
映画全体が、私のツボにハマってきた感覚でした。
 
そしてこのあと、この熱に油を注いだのは、インターネットと環境の変化でした。
 
それまでの私は、好きになりそうなきっかけがあっても、「次」を知る機会がなく、薪を足されない炎のように、自然に鎮火していたのです。
しかし、働き始めた私の手元には、iPadがありました。
学生の頃のように動画を漁り、岡田くん以外の5人にも目を向けるようになり、それぞれの関係性や、6人でいるときの雰囲気を見たら…一気にハマってしまったのです。
 
OMGコンの終了とともに好きを自覚し、その後、コンサートDVDを2009年まで揃え、CDも買い(Timelessはショップ盤以外ぜんぶ買った)、2014年に行われた演劇はすべて見に行きました。
 
今の年齢までジャニーズに関心がなかったので、「担当」という概念はよくわからないのですが、舞台を観たせいもあって、今は森田さんの一挙手一投足に注目しています。これが担当ということなのでしょうか。教えて、わかるひと。
 
さて、もっと書きたいことはたくさんあったのに、長くなってきました。
うまくまとめてまた書きなぐっていきたいと思います。
 
「ここもうちょっと!」っていうご意見があれば嬉しいです。
でも、なくっても書きます。
 
これからもよろしくお願いします。

開設のごあいさつ

こんにちは。はじめまして。

こより、と申します。

Twitterで長文を書き、TLを長い間占拠する暴挙をやめるべく、このブログを開設しました。

 

出身は新潟、現在は関東地方在住。お米の味と音程にうるさい人間です。

2013年の図書館戦争に多大なる影響を受けて、V6にハマっています。

お仕事がある身ではありますが、臨床心理を勉強したいなぁと思い、大学院を探しています。

 

ここに書くのは、V6のことや、ぺらっぺらの推察から導く心理のことなどが中心になるかと思いますが、お付き合いいただければ嬉しいです。

 

これから、どうぞよろしくお願いします。