よしやおくるとも

たいせつなものがなぜたいせつか。考えて、いつか確認する時のためのブログ

弱音を聞くことが私に与える意味

「変なこと聞くけど。弱音ばっかり聞かされて、イライラしない?」

 

突然聞かれた。

意味が分からなかった。

弱音でイライラ・・・?

そんなこと、一度も感じたことなかった。

 

むしろ、自分は何もできてないんじゃないかとか

そういう気持ちになっている本人が大丈夫かとか

そんなことばかり考えていた。

 

 

弱音は人をイラつかせる。

 

確かにそうかもしれない。

愚痴を聞かされ続ければ面倒になるし、

自己卑下ばかり繰り返されたらフォローの言葉も空しくなる。

 

でも、弱音が聞けることを嬉しく思っている人もいる。

 

 

誰にでも言える弱音と、限られた人にしか言えない弱音があると思う。

そして、後者は弱音というより、「本音」の意味合いが強い。

限られた人にだからぶっちゃけることができる。

たとえば、自分が弱いと思っていることだったり、

「なんで自分なんだろう」って、自分ではどうしようもない運命を嘆くことだったり。

 

自分の内側に向けられた苦しい思いを、「限られた人」である自分に言ってくれること。

それは、聞く権利を与えられたということだと思う。

何かできるわけじゃない私を、それでもいいと認めてくれたということだと思う。

 

 

ほんとうに何もできないから、無力であることは自覚している。

 

でも「限られた人」に選んでもらったのなら、その役割は全うしたい。

 

そう思うと、弱音(本音)をずーっと聞いていたって、

ネガティブな思いは生まれないんじゃないだろうか。

 

 

私があなたの前にいる意味がたしかにある。

そして、あなたが私の前にいる意味もたしかにある。