よしやおくるとも

たいせつなものがなぜたいせつか。考えて、いつか確認する時のためのブログ

「通れないんだよね」の一言から考える

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ゴールデンウィークが終わりました。

長かったですね。

いつもは「ちぇ、なにがウィークだよ。4日間しかないじゃないか」などとその名に似合わぬ短さに悪態をついていましたが、今年はたっぷり8日間(初日と最終日はお仕事)。ウィークには収まりきらない長い休みでした。

でもなぜか疲れています…。休み方が下手なのかな。

 

さて、GW中のある日、彼と一緒に買い物に。衣料品店で服を見ていたのですが、隣に女性の2人組がいて、話をしていました。彼と手話で会話をしながらも、「あまり目ぼしいものがないらしい」ということは聞こえてくる会話でなんとなく分かっていました。

 

そんな時、聞こえてきたのは、「通れないんだよね」という言葉。

私のカバンが邪魔なんだ、と思って、少し前に動いたら、女性たちはすっと別の場所に移動していきました。

そのあと、時間差でハタと気づいたことが。

 

「もしかして『通れないんだよね』って、私への文句だった??」

 

そう思ったらいろんなことにモヤモヤしてきました。

・手話で話してるから私も彼もろう者だと思ったのか。

・だから聞こえないと思って「通れないんだよね」って口に出したのか。

・声に出せばいいじゃん。ダメなら肩でも叩けばいいじゃん。

・ろう者と付き合う聴者だっているんだぞっ。

 

そう思ってることを彼に伝えてみたところ

「そういう人、たくさんいるよ。だからもう諦めてる」

と言われ、私がしばらくプリプリしていたことが逆に意外だったみたい。

諦めちゃうほどそういった体験をたくさんしてるのか。

障害があることそのものはなにも悪いことじゃないのに。悪意を向けられることを、諦めという言葉で麻痺させているような感じがしました。

 

誰が悪い、何が悪いという気はないです。

ただ、少しだけでいいから想像してほしかったな、と思ってはいます。

 

今度同じような場面に出会ったら、キッとそちらを向いてみようと画策しています。

ろう者と付き合う聴者だっているんだぞっ!