通訳の感度を考える
よい通訳者とよい通訳の間にはどんな関係が成り立つのだろうか。
よい通訳をする人は、よい通訳者なのか。
よい通訳者は、よい通訳をするのか。
感覚的に「100%イコールではない」という気がしてくる。それは、「よい」ということばがいろんな側面をはらんでいるからだと思う。
適時、適切、適当ということばがある。
適時はタイミングを言うとして、適切と適当はどう違うのか。
調べてみてのイメージでは、どうやら適切は内容に当てはまっていることを言い、適当は相手に当てはまることを言うようだ。
https://iso-labo.com/wakaru/business/teki.html
これを通訳の場面で考えると、
適時…「ここだ」というタイミングで
適切…話の内容を漏らさず
適当…相手に分かるように伝える
ことがいい通訳とも言える。
ただここで気をつけなくてはいけないことは、「いつから」その通訳を始めるかということ。
舞台での通訳なら、話し手が話を始めてからになる。会場の雑談を通訳しないことに対して、何か言われることはないと思う。
でも、これが聴こえる人同士の会話に同席しているろう者とその通訳者なら?
「聴こえる人同士の話なら、別にいらないんじゃない?」と思う人もいるだろう。
でもその判断をあなたはどうやって下したのだろう。判断の材料となったのはなんだろう。
きっと、それは音なんじゃないだろうか。
何を話されているかが分かるからこそ、「この話は聞いておきたい」とか「この話はいいや」と判断できる。
その判断の重要性をいかに分かっているか、そこの感度を持っている人が、いい通訳者であると思っている。
技術の有無は試験で振り分けられる。
でも、その感度は試験では分からない。
どうやって感度を育てていくことができるのか、きっとこれから考えていかなくてはならない課題なんだと思う。