よしやおくるとも

たいせつなものがなぜたいせつか。考えて、いつか確認する時のためのブログ

《どうして?》の手話から考える

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昔からそれなりに、ことばというものに興味を持っていたと思う。

中途で難聴になった祖父と、音声言語を持たない大伯母に接する中で、ことばの多様性にはちょっとだけ敏感だったかもしれない(だからといって、外国語を習得するほどではなかったけれど)。

 

この前、ろうの人と話している時、《どうして?》というニュアンスで、その人がある手話表現をした。何気ない会話の流れだったし、その内容は忘れてしまっているのだけれど、その表現だけが強く残っている。

 

《どうして?》に該当する手話表現はいくつかある。

 

左手の手のひらを下にして、そこから人差し指を伸ばした右手を外に向かって2、3度振る《理由》を意味する手話、ハテナマークの上部分を模した指を額の前に持ってきて左から右へゆるやかなカーブを描くように動かす手話、アロハ~!という時に作る手の形を鼻の前に持ってきて少し前に出す手話、、、

 

でも、そのときに相手が示したのは、OKの手の形から伸ばしている指を全部しまって、親指を人差し指の第1関節くらいまで下げた手の形を、こめかみの脇に持ってきて手首を外側に向けてひねる手話(動きを文字にするのは難しすぎ!そして、長すぎ!)。

これは、私が暮らす地域特有の手話表現で、いうなれば「方言」ということになる。

 

先に挙げた3つの手話表現は、どれも《どうして?》という意味だと読み取れるし、意思疎通には何の問題もない。実際、今までの会話では、「方言」を使うことのほうが少なかった。

 

でも、「方言」を使ってくれた表現をしてくれたことが強烈に嬉しかった。

きこえている人からしても、自分に馴染みのあることばというものがあるように思う。例えば、“アホ”はいいけど“バカ”はどうも使いづらかったりとか、突然冷たいものに触れた時、とっさに出てしまうことばが“ひゃっこい”だったり。

 

標準語は多くの人に伝わるという点で便利なことばだけれど、その人の人となりや背景を知るときには、「方言」が果たす役割も大きい。

なにより、その人が馴染んだ自然なことばをふいに使うほど、自分に気を許してくれていると感じられると嬉しい。

 

「おっ」という驚きと、ふわっとしたあたたかさ。それを指から感じた瞬間でした。