生産性をゲームから考える
任天堂スイッチが欲しくてたまらない。
大乱闘スマッシュブラザーズがやりたすぎる。
私のゲーム歴はとても浅い。
テレビゲームはスーパーファミコンしかやったことがないし、ソフトも4つか5つくらいしか持っていない。ゲームを欲しがらないので、友達との話題についていけないのではないかと心配した母親が、プレイステーションを買ってはどうかと提案してきたほどだ。
ポータブルゲームはゲームボーイを持っていた。画面はモノクロ、本体は分厚いやつだ。
持っていたソフトはポケットモンスターのグリーン。周りはレッドばかり持っていた。
あの頃はポケモンを交換した時、もらったポケモンの名前を変えられなかった。
ある日、友達からポケモン交換を提案された。了承してゲームボーイ同士をコードでつなぎ、友達からもらったポケモンはイワークだった。名前を見て愕然とした。私の本名が登録されていた。もう変えられない。。。
それが理由ではないがゲームボーイも続かなかった。その次に買ったのは、ワンダースワンというポータブルゲームだった。この名前、友達に言ってもなかなか通じないのだけれど、マイナーなゲーム機だったのだろうか。
カードキャプターさくらのソフトを買い、何とかやり切った記憶がある。
それが中学生の頃。それ以降、ゲーム機を欲しがることはなく、生活してきた。
そんな私が今、任天堂スイッチが欲しくてたまらない。仕事がある程度落ち着いて、余裕がある時間が増えたこともある。それと同時に、自分の時間を非生産的に過ごしてみたいという気持ちもあるからだ。
ゲームをする時間はきっと生産性がない。
だけど、ゲームをしたことでリフレッシュされれば、次の日の仕事や行動が少しクリエイティブになるかもしれない、と約15年ぶりのゲームに少なからず期待している。
生産性の有無が世の中の話題になって少しの時間が過ぎた。
生産してなんぼ、という価値観は「生産」をどのように定義しているかによると思っている。その人が直接生産しなくても、誰かの生産を促進することもあるだろう。そういったことも「生産」と考えていいんではないかと思う。
目に見える結果だけを求められては、きっと誰もがしんどい。
多様性を謳う社会を作っていくなら、「生産」のあり方だって多様でいいんじゃないか、と思う。