よしやおくるとも

たいせつなものがなぜたいせつか。考えて、いつか確認する時のためのブログ

私と聴覚障害~社会人期以降

気づけば3本目になりました。

 (↓1本目↓)

 (↓2本目↓)

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聴覚障害児・者支援にのめりこんだ大学時代を経て、聴覚障害学生への支援に積極的な大学に就職しました。

 

 □社会人期  

仕事では、他大学へのコンサルテーション、ネットワーク形成のための会議、ノウハウの蓄積・開発など、多岐にわたる業務に触れさせてもらいました。全国でがんばっている人達と知り合えたのも貴重な出会いになりました。

でも、3年目くらいから、「自分がしたいのはこういったことではなさそうだ…」と気づき始めました。 

 

もっと支援される学生や支援する学生に寄り添っていきたい。そのためには自分自身にもっと話を聴くスキルが必要なんだと自覚しました。

そして、その時にもうひとつ決めたのは、地元に帰ることでした。

大学4年、就職4年を県外で過ごしてきて、技術も考えも進んだ支援を目の当たりにしてきました。でも、ふと地元に目を移した時に、まだまだ支援が足りない地域がまさに地元にあって、そこを底上げしていくことの力になりたい、と思ったのです。

 

そこで決めたのが、地元の大学院に進学すること。

 話を聴くスキルを学ぶためと、地域に顔を売るため(ゲスい…)の進学でした。

 

 

 □大学院期  

大学院での学び以上に、私にとって大きかったのは、地元に暮らす聴覚障害者やそれを支援する人達との出会いでした。

 

往復3時間の通学をする中、先生に「加速度的に忙しくなる」と脅されながらも、縁あって、聴覚障害者に特化した就労継続支援B型の施設でバイトをさせてもらい、聾学校の関係者が主催するボランティア団体でも少しお手伝いさせてもらいました。

 

そこでの経験を通して、本当に聴覚障害者が多様であって、でも、その支援の一助として手話が有効であることを感じました。コミュニケーションが取れないから仕事が出来ないわけじゃないし、考えがないわけじゃない。ただ、それを掬い取るツールが、聴覚障害者と聴者の間に乏しいだけなんだと思います。

バリバリの日本手話を使う子どもが、自己紹介で自分を「難聴」と伝えたり…。聴覚障害者をめぐるアイデンティティの複雑さも垣間見た気がします。

 

さらに私にとって、聴覚障害が切っても切れない関係になった決定的な要因となる人と、この期間に出会いました。

つまるところ、彼氏です。

ボランティア団体で知り合った彼は、彼自身が聴覚障害を持っています。彼のおかげでボランティア団体にも深く関わることができているし、聴覚障害の人の生活を間近で見ることができる。聴覚障害があるから彼と付き合っているわけでは決してないけど、彼から学ぶことは本当にたくさんあります。

タグの「気分の波に乗る」のほとんどは、彼との話から考えさせられたことです。

 

 

 

30年弱にわたる、私と聴覚障害のつながりを振り返ってみました。思うのは、人との出会いで自分が道を選んできたんだということです。

祖父、大伯母、大学の友人・先輩…

偶然の出会いに弾かれて、「おっとっと…」って2、3歩進んだら、また別の出会いに弾かれる。そんな感じで、聴覚障害児・者支援の領域の中で生きていけたら、と思うようになりました。

今の仕事はそれとは直接関係しませんが、いずれ繋がっていけたらと思っています。

 

今日はここまで。つらつらしたひとり語りにお付き合いいただき、ありがとうございました。