もしも別の出会い方があるとして…
何度生まれ変わったって、僕は君を見つけ出す
…みたいな甘いせりふ、ありますね。
(甘いかくどいかは人によるかと思いますがw)
ある共通項がきっかけで出会うことがあると思います。
友人となる人と、同僚となる人と、恋人となる人と…。
その共通項が、仮になかったとしても、自分とその人は出会えるものなのか。
向こうは絶対出会ってる、と言うけれど、なんとなく私はそう思えなくて。
これは、その違いを考えるための記事です。
たとえば、何かの当事者で、それにまつわる活動したいと思っているAさん。
Bさんは同じ当事者ではないけど、その人達を支えたいと思っています。
2人は共通の知り合いで、かつ、Aさんと同じ当事者であるCさんに誘われて、
ある活動で出会います。
その後、意気投合してプライベートでも遊ぶ仲になりました。
というこの場合、共通項は
・活動の志向性が同じであること。
・対象(この場合、当事者の種類)が同じであること。
があると思われます。
この共通項がなかったとしたら…?
・AさんはCさんと知り合いじゃないだろうし、知り合いだとしても活動に呼ばれるほどの仲ではないような気がする。
・そうなれば、BさんがCさんに誘われたところで、Aさんとは知り合わないし、したがって、プライベートで遊ぶ仲にもならない。
と私は思うんです。
じゃあ、なんで相手は「絶対出会ってる」と断言するのか、できるのか。
向こうの言い分はざっとこんな感じ。
・自分が当事者じゃなくても、家族がそうかもしれないし。
・家族がそうなら、関心を持って同じ当事者と知り合ってるかもしれない。
・仮に同じところに関心がなくても、それだけで仲良くなったわけじゃない。
おや…。
それって、共通項なんてあってないようなものなのでは?
私たちはともすると、共通項があることに安堵して、仲間になっていくものと思いがちだけど、実のところそうじゃないことのほうが多いのかもしれない。
共通項があることに意味があるんじゃなくて、
出会うことそのものに意味があることだってあるのかも。
共通項は、出会った意味を考えようとする時にただ便利なだけであって、
「共通だ」というところまで話し合える、知り合える関係に
お互いがなってこそ、活きるものなのではないか。
もしも別の出会い方があるとして、
それは別の共通項で出会うのではなくて、
会うべくして会った、と思っていきたいな、と考えるのでした。