よしやおくるとも

たいせつなものがなぜたいせつか。考えて、いつか確認する時のためのブログ

過去を抱いて翔ぶ

新しい環境に入ったり

新しいことを学んだり

 

そういうときに、今までの自分ではいられなくなる時があります。

 

 

これまでの考えや知識、

はたまた自分の中の常識までもが

邪魔になったり

物事への関わり方を根本的に

見直さなくてはならなかったり

 

 

要は、自分が変わるとき、

なのだと思います。

 

 

今までのものからこれからへ

古いものから新しいものへ

 

 

このとき、

古い自分はどうしますか?

 

 

そのままでは新しい場面への適応は難しいです。

 

 

棄ててしまう?

後生大事にする?

 

 

いろんな人がいるかなと思います。

 

 

でも、ふと思ったのですが、

 

変わることとは

過去を棄てること

ではなく、

過去を認めることを

含んだプロセス

なのではないかと。

 

 

今までの私も含めたものを

受け入れられるから、

新しく変わる自分も

受け入れていける。

 

 

そんな気がします。

 

 

 

立つ鳥跡を濁さず

 という言葉も、これに似た部分があるのではないかと思うのです。

 

 

過去を淀みに置いていくことではなく、過去を浄化して、それもひっくるめて進んでいくこと。

 

 

過去を否定する必要はないんだ、と思えればそれまでの自分も無意味ではないと思えるのではないか。

 

 

そんな風に考えます。