よしやおくるとも

たいせつなものがなぜたいせつか。考えて、いつか確認する時のためのブログ

10年を超えて今…

数日前、TwitterでOrangeとTimelessの歌詞が繋がっている!というツイートを拝見し、鳥肌が立ちました。

その興奮冷めやらぬ中、わたしなりにOrangeとTimelessの関係性を考えてみたくなり、その拙い結果をまとめてみます。それではスタート。
 
 
 
OrangeとTimeless
 
 
 
10周年の節目に発売されたOrange
ここでの「僕」は大きな決意を抱えて立っている。
 
どうなるかわからない、結果の見えない未来への決意。それは不安と緊張を併せ持つ。
だからこそ、僕の手は「少し冷たい」し、胸は「依然高ぶる」状態を脱しない。
 
そして「君」は、決意を持って旅立つ僕が「手を振る」相手であり、「僕」を見送る存在であることはわかるものの、「君」がどんな道を行くのかは描かれていない。
 
ただ、「大人に成り過ぎた」「僕ら」は、旅立たなくてはならず、それを知らせる「鐘の音」を聞いている。
 
 
一方、Timeless
ここでの「僕」は昔の夢を持ち続けながらも、10年の間で傷つき苦しんだ存在である(このへんは、2番の出だし、長野くんのソロがそう思わせる)。
 
そしてふと、「君」も「僕」と同じように傷つき、苦しんだのだと気づき、仲間が迷いながらも進んでいることが誇らしく見えてくるように思える。
 
《誇らしく見える》ことについては、歌詞では特に書かれていない。
ここの論理の飛躍は、今年の2月、日本アカデミー賞を岡田くんが受賞したときに、井ノ原くんが送ったメールで埋めたい。
それ以外にも、「このメンバーのここが好きだ/素敵だと思う」という発言をよく目にする気がする。この類の発言は、仕事への心構えとか各メンバーのポテンシャルの話になることが多い。個々で仕事をすることが増え、それをよく見ているのだろうと思う。
 
話をもどす。
 
「君」が傷つき苦しみながらも、自分の夢を持ち、進んでいることを知った「僕」は、フィールドが違えど、孤軍奮闘している「君」の存在が、大きな支えになってくる。
 
普段は意識しないけれど、つながっている。
姿は見えないけれど、伴走している。
 
そんな心強さを互いに感じながら、「僕ら」はまたそれぞれのフィールドで傷つき苦しみ迷いながら進んでいく。共通の帰る場所とそこに集まる人を思いながら。
 
2作の間にはそんな物語が見え隠れするような気がするのだ。
 
 
舞台を設定するとすれば、Orangeは卒業式前夜、Timelessは同窓会の帰り道。
前者は自分の意思に関わらず、《進まなければいけない》状況があり、そこに照準をあわせて、自分の将来をイメージする感じ。
後者はそこから時間が過ぎ、今までの自分のあり方や支えてくれていた周りを見渡したあと、《自分の意思で歩き出す》感じ。
 
 
そして、卒業式から同窓会までの10年間、曲と同様の歩みをメンバーも経てきたのではないかと思う。
 
新しいステップとして個々の活動が増え、孤軍奮闘のなかで迷い苦しんだとき、他の5人が真摯に物事に取り組む姿が支えになったと思ってしまうのは、都合が良すぎるだろうか、夢を見すぎているだろうか。
 
でも、気心知れた仲間や《帰る場所》があるからこそ、そこに誇れるような仕事をしたい、誇りに思ってもらえる自分でありたいと思う気持ちは、多くの人にあるものではないだろうか。
そして、この《帰る場所》と仲間の存在こそが、「絆」であると思うのだ。
 
 
Super Very Bestの初回限定盤Aには、メンバーが作詞した新曲、「此処から」が収録されているという。
個人活動で得た大きなお土産を持ち寄って、《帰る場所》に集まった6人が、「此処から」なにをスタートさせるのか、今からワクワクを禁じ得ない。