よしやおくるとも

たいせつなものがなぜたいせつか。考えて、いつか確認する時のためのブログ

音声認識アプリでレポートを書く

新生活が始まって2ヶ月が過ぎ、疲れが出てくるころかもしれません。最近は、6月病って言葉がはやってますね。かく言う自分も、一昨日の夜中に38度まで熱が出て、昨日は仕事をお休みしました。(今日は無事?出勤しています。)

これを読んでくださる皆さんもどうぞご自愛くださいませ。

 

そんなときでも、学生さんはレポートを書いたりとか忙しいのではないかと思います。

レポート書く時に面倒なことのひとつに、タイピングがあるような気がします。スマホ全盛期の時代にあって、パソコンってちょっと面倒なものに変わりつつあるし、「タイピングより、フリック入力が速いわ!」って人もいるかも…。

 

そんな人に、音声認識アプリでレポートを書く方法を勧めたい!

おススメのアプリは…

UDトーク | コミュニケーション支援・会話の見える化アプリ

です。

今は多言語翻訳などにも力を入れていますが、もともとは、耳が聞こえにくい人・聞こえない人とのコミュニケーションツールとして出発しています。そのため、声での日本語が聞きとりにくい人のために、スマホに吹き込んだ音声を文字に変えて表示してくれます。

 

操作も簡単だし、作った文章をメールで送ることもできます。

私は、

お風呂でUDトークを起動して、レポート課題についてしゃべる。

→UDトークが文字化する。

→作った文章をメールで自分のアドレスに送る。

→文章を文書作成ソフトに貼り付けて体裁を整えたら完成!

という方法でレポートを作っていました。思いついたことをつらつら話せばいいので、つい話しすぎてしまって、提示された枚数制限を越したこともあります(笑)

 

同期には「お風呂ぐらいちゃんとリラックスして!」と怒られたこともありますが、これのおかげで院生室にいる時間が短くて済むので、結果としてはトントンでした。

レポートがたくさん課される方、いろんな制約があって時間管理に苦労している方、何から書いていいか分からない方に、試してみてほしいなぁと思うのです。

 

 

そして、願わくば常にスマホにそのアプリを入れておいてもらって、困っている難聴者・ろう者と出会った時に、使ってほしいと思っています。

ひとりでできるもん…

就職とともに1人暮らしをしています。週末は誰かと(というか、特定の人と)過ごすことが多く、振り返ってみると4月からこれまで、1人の週末がありませんでした。

 

そんななか、先週末はふいにひとりぼっちの時間になりました。

久しぶりのひとりの週末を、私がどう過ごしたのか、何を思ったのか。

あの2日間を振り返りながら書いてみようと思います。

 

=土曜日=

*7:30ごろ

予定がポシャッたのを確認。

LINEで確認したあと、すぐに思ったのは

「今日はもう終わりでいいよ」ってこと(笑)

そのあとは布団の上で号泣。

 

なんか、この世の終わりって感じだったんです。

会いたい人に会えないこと、苦しんでる人に何もできないこと、あまりに自分が無力だということ、そのすべてが全部一緒にのしかかってきて、自分に腹を立てて泣いていました。

 

そのあとに思ったのは、

「"今日"が自分の中に存在しなかったことにしよう」。

このまま不貞寝して、1日を無碍に過ごしてやろうと企み、布団でごろごろしていました(前夜、木更津キャッツアイを全部見たせいもあるけど)。それでいいって思ってたんです。思ってたはずなのに、どこかで「いいのか?それで」という、反語的な思いも同時に存在していました。そして結局、後者の思いが勝ちました。

 

*11:30ごろ

布団を跳ね除けて起床。

窓を開けると、運動会をしているらしい小学校から、大塚愛さくらんぼが聞こえました。

 

朝昼兼用の食事を準備。

ホットケーキミックスが残っていて良かった。なにもなかったら、また不貞寝に戻ってしまっていたかも。ホットケーキを焼いて、お茶をいれて、食事を取りました。

 

お茶をいれて、撮りためていた「おっさんずラブ」を視聴。

これまで「おっさんずラブ」を見ていなくて良かった。見ることをTwitterで宣言したら、友達から「武川主任がお勧め」「牧くんがけなげで…!」とのリプライがあり、見る前の楽しみもありつつ、自分に関わってくれる人の存在にも気づけました。

 

*15時ごろ

車でちょっとお出かけ。

「外に出るか」と思える気持ちになっていました。どうせ家にいても、いろいろ考えてしまうし、という思いもあっての決行でしたが、生活雑貨や化粧品・食料品を買って、1時間半後に帰宅。テレビで交流戦を見ながらごろごろして、ちょっと仮眠しました。

 

*夕食後

おっさんずラブ」の最終回を見てから、就寝。

 

=日曜日=

*10時~

資格試験の勉強会。

休みの人が多かったけど、開催してもらって良かった。人と過ごせて、やることがあって、っていう時間に救われました。

 

*13時ごろ

帰宅途中に、「どうせ時間あるし…」と思い立ち、前から行きたかったパン屋さんに寄り道。お昼ごはんと平日の朝ごはんにする食パンを買って、帰宅しました。コーヒーと一緒に昼食を取り、また交流戦見る番組があって本当に良かった。

 

*17時過ぎ

作りたい料理が浮かんだので、スーパーにお出かけ。一品作ってから、晩ごはんを取りました。

 

 

=振り返って思うこと=

「ひとりでも過ごせた!」というちょっとした達成感があります。

金曜日から怪しいかもなぁ、とは思っていて、だから木更津キャッツアイを全話見たんだけど、それでも土曜日の朝にのしかかってきた虚無感はすごくて。。

それでも、2日間、実際の人やテレビ、SNS、果ては食材にも支えられて、ひとりで過ごせたことは、自分の自信にもなったし、精神衛生上も良かったんじゃないかと思っています。

 

それでもやっぱり、本心は寂しくて。2人がよくて。

ひとりでも過ごせる時間を、2人で過ごせたらどんなに幸せか。

それを痛感させてくれる機会にもなって、次に2人で過ごせる時間が待ち遠しくなりました。

 

2人の時間を楽しんだり、その時間の大切さを知るために、今回のひとりの時間があったんだと、そう思いたいです。

 

お題「ひとりの時間の過ごし方」

ダメダメな懺悔

一緒にいられないのに、

一緒にいるよ、なんて言って

なんの慰めになるんだろう。

 

一緒じゃないのに。

何もできないのに。

 

何かができるとは思ってないけど、そんな私にせめてできることがあるとすれば、隣にいること、近くにいることなのに、それすらできない。

 

それなのに一緒だなんて。

虚しいにもほどがある。

 

ごめんね。

何もできなくて、本当にごめん。

 

もしも別の出会い方があるとして…

何度生まれ変わったって、僕は君を見つけ出す

 

…みたいな甘いせりふ、ありますね。

(甘いかくどいかは人によるかと思いますがw)

 

ある共通項がきっかけで出会うことがあると思います。

友人となる人と、同僚となる人と、恋人となる人と…。

 

 

その共通項が、仮になかったとしても、自分とその人は出会えるものなのか。

 

 

向こうは絶対出会ってる、と言うけれど、なんとなく私はそう思えなくて。

これは、その違いを考えるための記事です。

 

 

たとえば、何かの当事者で、それにまつわる活動したいと思っているAさん。

Bさんは同じ当事者ではないけど、その人達を支えたいと思っています。

2人は共通の知り合いで、かつ、Aさんと同じ当事者であるCさんに誘われて、

ある活動で出会います。

その後、意気投合してプライベートでも遊ぶ仲になりました。

 

というこの場合、共通項は

・活動の志向性が同じであること。

・対象(この場合、当事者の種類)が同じであること。

があると思われます。

 

この共通項がなかったとしたら…?

 

・AさんはCさんと知り合いじゃないだろうし、知り合いだとしても活動に呼ばれるほどの仲ではないような気がする。

・そうなれば、BさんがCさんに誘われたところで、Aさんとは知り合わないし、したがって、プライベートで遊ぶ仲にもならない。

と私は思うんです。

 

 

じゃあ、なんで相手は「絶対出会ってる」と断言するのか、できるのか。

向こうの言い分はざっとこんな感じ。

・自分が当事者じゃなくても、家族がそうかもしれないし。

・家族がそうなら、関心を持って同じ当事者と知り合ってるかもしれない。

・仮に同じところに関心がなくても、それだけで仲良くなったわけじゃない。

 

 

おや…。

それって、共通項なんてあってないようなものなのでは?

 

私たちはともすると、共通項があることに安堵して、仲間になっていくものと思いがちだけど、実のところそうじゃないことのほうが多いのかもしれない。

 

 

共通項があることに意味があるんじゃなくて、

出会うことそのものに意味があることだってあるのかも。

 

共通項は、出会った意味を考えようとする時にただ便利なだけであって、

「共通だ」というところまで話し合える、知り合える関係に

お互いがなってこそ、活きるものなのではないか。

 

もしも別の出会い方があるとして、

それは別の共通項で出会うのではなくて、

会うべくして会った、と思っていきたいな、と考えるのでした。

弱音を聞くことが私に与える意味

「変なこと聞くけど。弱音ばっかり聞かされて、イライラしない?」

 

突然聞かれた。

意味が分からなかった。

弱音でイライラ・・・?

そんなこと、一度も感じたことなかった。

 

むしろ、自分は何もできてないんじゃないかとか

そういう気持ちになっている本人が大丈夫かとか

そんなことばかり考えていた。

 

 

弱音は人をイラつかせる。

 

確かにそうかもしれない。

愚痴を聞かされ続ければ面倒になるし、

自己卑下ばかり繰り返されたらフォローの言葉も空しくなる。

 

でも、弱音が聞けることを嬉しく思っている人もいる。

 

 

誰にでも言える弱音と、限られた人にしか言えない弱音があると思う。

そして、後者は弱音というより、「本音」の意味合いが強い。

限られた人にだからぶっちゃけることができる。

たとえば、自分が弱いと思っていることだったり、

「なんで自分なんだろう」って、自分ではどうしようもない運命を嘆くことだったり。

 

自分の内側に向けられた苦しい思いを、「限られた人」である自分に言ってくれること。

それは、聞く権利を与えられたということだと思う。

何かできるわけじゃない私を、それでもいいと認めてくれたということだと思う。

 

 

ほんとうに何もできないから、無力であることは自覚している。

 

でも「限られた人」に選んでもらったのなら、その役割は全うしたい。

 

そう思うと、弱音(本音)をずーっと聞いていたって、

ネガティブな思いは生まれないんじゃないだろうか。

 

 

私があなたの前にいる意味がたしかにある。

そして、あなたが私の前にいる意味もたしかにある。

いつか、を信じたい自分を信じる

見慣れぬ広告に出現し、長いこと放置していたことに気づきました。

そんな時に現れた、

今週のお題「あの人へラブレター」

ちょうど、今週は自分に波があったので、整理する意味で書いてみます。

 

 

 

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誕生日に小さな手紙を渡した以来の手紙だね。

パソコンで書くとはいっても、やっぱり緊張します(笑)

 

もうすぐ付き合って半年だけど、その間、いろいろ、本当にいろいろあったね。

 

体調がよくなくて、デートが延期になったり、退職せざるを得なくなったり。

悔しいことや不甲斐ないと思うことが、私には想像しきれないくらい、たくさんあったはず。

それでも、2人でいる時は、私に心配かけまいと、努めて明るくいてくれたことも感じています。

 

今もまだ、体調の波はあるし、それに引きずられるように気持ちが落ち込んでしまったり、

元気なときには「何かしなくちゃ」と焦りを感じたり、自分が自分でないような感じもあると思います。

 

頑張り屋のあなたは、すべて自分で抱えようとしてしまうけれど、

そういった思いがあるなら、どうか私にも聞かせてほしい。

 

付き合ってるとはいえ、一緒に住んでるわけじゃないから表情は見えないし、

私たちの特性上、声が聞き合えるわけじゃないから、声色から想像することもできない。

 

だから、

「こんな自分はダメなんだ」とか「嫌われないようにしなくちゃ」とか

そういった思いがあるなら、包み隠さず聞かせてほしい。

 

「言ったらどう思われるか」「愛想をつかされないか」って心配するかもしれないけれど、

むしろ、弱音や本音を吐く相手に、私を選んでくれていることが、私は嬉しい。

 

特効薬を処方できるわけではないし、実家に飛び込んでいけるわけでもないけれど、

あなたはちゃんとそこにいていいんだし、私は、あなたにそこにいてほしいと思っていることを

手を変え品を変え、あらゆる方法で伝えていきたい。

 

 

正直に言うとね、私にも不安は少しあったりする。

自分がいつまで待てるのか、変わらず待っていられるのか。

 

でもいつか、『あの時は・・・』って、思い出してあなたと話せる時が来ると信じたい。

そう思って、あなたを待つ私を、私自身が信じたい。

 

30年近い紆余曲折を経て、やっと見つけたこの手を私は絶対離さない。

 

これから何が起こるか分からないし、つらい日もむなしい日もあると思う。

でも2人で超えていきたいし、超えていけると思ってる。

 

だからどうぞ、これからも一緒に、よろしくお願いします。

 

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話さなくちゃ分からない

ローカルネタってありますね。

ケンミンショーみたいなやつ。

最近は忙しくて見れていませんが、都道府県ごとの違いが詳らかになるし、新しい発見があるので好きです。

(内容とは関係ないけど、何かを試食するとき必ず、いただきます、っていうのも好感持てます)

 

でも違いって県の中でもありますね。

 

たとえばカツ丼。

 

有名な話かもしれませんが、新潟でカツ丼は2つあります。

ひとつは一般的な卵とじ、

もうひとつはタレカツというもの。

 

醤油ベースのタレにくぐらせたカツがご飯の上に乗っかります。

 

今日同期で話してて、タレカツ丼が給食に出たよね〜って話してたら、通じないんです。

 

同じ県内の人と、ですよ。

 

驚きました。

バットからカツをご飯にのせて、個包装の刻み海苔をかけて…ってやってないんだ!って。

 

2年目になって、知ってることも増えてきたと思っていましたが、そんなこと全然ない。

 

きっとこれから何年経っても新しい発見があるのだと思います。

 

それをしていくためには、話さなくては。

話さなくっちゃ分からない。

 

そんな当たり前のことを考えさせられる、カツ丼騒動でした。