見守られる暖かさ
一大イベントが終わり、頭が働きません。
電車の揺れですぐに寝そう…。
でも。いいイベントだったなー。
私も預かり知らない、小さなところから始まって、いろんな人と出会って、気づいたら100人が集まるあったかい繋がりで。
それだけの人が自分の周りにいるって分かることが、どれだけ心強いか。
あなたのことをよく知らない人からの誹謗中傷なんて、関係ないんだ。
言われたことが気になるんだとすれば、それはあなただけじゃなくみんなに当てはまること。
それよりも、あなたやあなたの仲間を守ろうと、見守ろうとしてくれる人たちの、拍手とか笑顔とか、興味深く聞いてくれる人のおかげで癒される。
そして大切にしていくべきはこっちなんだと思う。
このご縁が続いていけばと願うばかりです。
とっても温かい気持ちになったイベントでした。
生きるために壊れる
週末が近づいてきました。
この、「近づいてきた時」が一番しんどい気がします。
カレンダー通りにお仕事をされる方とか学生さんなら、水曜日の夜とか木曜の朝が、「近づいてきた時」になるのではないかと思います。
私の周りも御多分に洩れず、そんなスケジュール。
そんなとき、「あ、この人疲れてきたな」っていうのが分かるんです。
その人、わかりやすく
壊れるから。
たとえば、欧米人みたいな訛りをしてみたり、地元の方言になってみたり、周りの人の話を聞いてるかと思いきや揚げ足を取ってみたり、急に空を眺め出したり…。
一般的には、この人不安定になってるな、と捉えると思うのですが(笑)。
でもそれを見ていると、
壊れるのは、生きていくため
なんだと思うのです。
壊れたくて壊れてるわけじゃないけど、無理をしている頭や体や心に、奥底からストップをかける行為。
それが壊れることの意味だと思います。
結果、壊れた後には、切り替えて作業に入っていったり、「もう今日は終わり!」と割り切って帰る人もいて。
どちらも、壊れる前よりも、今やこれからをきちんと生きていく状態になっているのです。
壊れるのは次に進むため。
そのためのエネルギーを溜める機会。
そんな風に考えていける世の中だといいな、って感じます。
うごめく色
6月に買ったマンガ。
『ひだまりが聴こえる』
『きゅっと結んで、スキ』
どっちも聴覚障害のある人物が登場します。
かたやBLで、
かたや少女コミック。
系統は違いますが、同じところがあるなぁと思いました。
どちらも中途失聴で(高熱が原因なのも同じ)、そしてどちらも、自分の障害をわりと受容できている。
受容の過程を描くと、自分の中の話になってしまうので、なかなか漫画に落とし込みづらいところだなとは思うのですが…。
聞こえていた人が聞こえなくなること、
周りの人に「もう一度話して」ってお願いしにくいこと、
自分が聞こえる側に歩み寄らなくてはと考えること、
内側でうごめくいろんな色の話。そういったことを、読む人にわかってもらえると嬉しいなと思いました。
しかし、少女コミックを読んでいて思ったのですが、話したいから手話を覚える過程を読んで、学部時代の先生の言葉を思い出しました。
人はコミュニケーションをしたいと思ってコミュニケーションをする。
「あなたのことを知りたい」がコミュニケーションの原点である、という話。
コミュニケーションを取りたい人は誰だろう??
ベテランは一夜にしてならず
ベテランって安心するなぁ
でも、ベテランも
急にベテランになるわけじゃないんだ
苦しい日があって
楽しい日があって
泣く日があって
笑う日があって
今の姿になってるんだよなぁ
楽天の細川捕手を見ながら。
異種格闘技の化学反応
異種格闘技っておもしろい。
あ、テレビの話です。
最近は、同じ潮流の人たちが集まって、仲の良さを示しあって、批判もしない、"優しい"番組がたくさんあるなぁと思うのです。
それはそれで見ていて心地がいいし、サラッと見れる。
でも優しいということは、言いかえれば生ぬるいということでもあり、自分の成長が期待できないことでもある。
なので、異分野の人たちが話し合うところ=異種格闘技を見るのが好き。
それをかなえてくれるのが、
SWITCHインタビュー 達人達
というNHKの番組。
異分野であればあるほどおもしろい。
同じ分野で、ともすればライバルとなる人が相手なら、ここまで話さないんだろうなって思うことも、異分野・異業種だから言えたり。
相手が考えていることが、分野や業種を超えて共通していたり。
そんな発見があって大好きな番組です。
録画してた古坂大魔王と田原総一郎のSWITCHが面白かったので、今日のブログはこれにします。
読んでいただき、ありがとうございました。
よい夜をお過ごしください。
対話が対話になるために
今日はカンファレンスでした。
簡単に言えば、ひとつを取り上げて、みんなで意見交換。
自分がテーマを出す番だったのですが
怖くてねぇ…
だって、自分の意見や考察を書かなくてはいけないし、質問されたことにきちんと答えないといけないし…。
そんなネガティヴな気持ちで臨みました。
その結果
明るい気持ちで終われました。
それまでに持っていた気持ちがネガティヴすぎたせいか、意外でしかなくて。
でも、それで考えたことが。
自分の意見を言うって、話し合うための土台なんだと思いました。
そのテーマを一番見聞きしている(はずの)私がまず出さなければ、周りの人は口の出しようがないし、そうなると他からの意見ももらえない。
自分の意見を言わずに、相手の意見だけを聞こうなんて、何様だよって感じだし。
そこは最低限のラインでクリアできたのではないかと思います。
あとは、全部答えられなくてもよくて、それがその“答え”であること。
たとえば、言われたことが自分に残っていなければ、それが私にとっての事実であって、反省はしなくてはいけないけれど、その事実も軽んじられるわけではない。
…厳然としてある事実、強い。
そんなことが分かった気がしたカンファレンスでした。
この内容を今後に生かさないといけないし、この話し方も今後身につけていかなくては、とアラサー学生は思うのでした。
同担拒否の社会心理学?
自己評価維持モデル self-evaluation maintenance (SEM) model というものがあります。
自分にとって関係が強いものを、同じくらいあるいはそれ以上に遂行する人が現れた場合、どうしますか?
社会心理学では、その場合に2つの対処があるとしています。
ひとつは、その人を遠ざける方法。
もうひとつは、親しくなってその人の能力を殊更に示す方法。
この、遠ざける方法って
同担拒否が起きるときの人の心に似てるんじゃ?
と思いました。
自分と同じくらい、あるいはそれ以上に、同じアイドルを応援している人がいる。
その人といると、その人にそのアイドルに関する知識があることが、どんどん外に知れ渡ってしまう。
それは今までの自分の立場を脅かすし、居心地も良くない。
だからその人と距離をとって、関心を向けないことで自分を守る。
そんな心の動きなんではないかと思いました。
でも実際には、好きになったタイミングやそのポイント、お気に入りの曲とかは違うはずなのに、そこで被ってしまうことを拒む。
キャラ被りを避ける、と言えばそれまでですが、その背景には自分が自分にしてきた評価(〇〇くんを深く知ってる私)を保つため。
自分を守ろうとするその人の気持ちが反映されていると思います。
そこをもし乗り越えたらどうなるか?
同じものを好きな人同士、良好な関係を築けるというのも、社会心理学のトピックなのですが、それはまたいつか。