冷やしトマトから考える感覚の共有

Twitterのトレンドに冷やしトマトが入ってましたね。

話は分かったのですが、別に何食べてもいいじゃないというのが正直な感想…。

みなさんはどうなのでしょうか。

 

今日は冷やしトマトそのものではないのですが…。

冷やしトマト関連でツイートを見ていたら、素敵な考えに遭遇しました。

 

https://twitter.com/roki_399927/status/878130738209603584

 

これを読んでみて思ったのが、俵万智さんのこの短歌に通じるのかなって。

 

「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ

 

寒いね、と言うとき

求めているのは「私の方が寒い」とか「昨日天気予報で言ってたろ?」という主張や情報ではないと思うのです。

 

「暖房つける?」とか「風邪ひかないでね」ということばも、ちょっと違う。

嬉しいけどね。その心遣いは伝わると思う。

 

 

でも、そのときに欲しいのは、

同じ場を(大事な)人と共有しているという感覚で、

その場を相手も感じている事実。

 

 

その意味で、この短歌とツイートには同じ空気が流れているように思いました。

こんなカップルになりたい…。

 

 

あと、反論ばかりのタイムラインの中で、このツイートがホントに素敵な清涼剤になってるなって思います。

 

 

そんなセンスを自分も持ちたいなーとも思う出会いでした。

対話が対話になるために

今日はカンファレンスでした。

簡単に言えば、ひとつを取り上げて、みんなで意見交換。

 

自分がテーマを出す番だったのですが

 

怖くてねぇ…

 

だって、自分の意見や考察を書かなくてはいけないし、質問されたことにきちんと答えないといけないし…。

 

そんなネガティヴな気持ちで臨みました。

 

その結果

明るい気持ちで終われました。

 

それまでに持っていた気持ちがネガティヴすぎたせいか、意外でしかなくて。

 

 

でも、それで考えたことが。

 

自分の意見を言うって、話し合うための土台なんだと思いました。

そのテーマを一番見聞きしている(はずの)私がまず出さなければ、周りの人は口の出しようがないし、そうなると他からの意見ももらえない。

 

自分の意見を言わずに、相手の意見だけを聞こうなんて、何様だよって感じだし。

 

そこは最低限のラインでクリアできたのではないかと思います。

 

 

あとは、全部答えられなくてもよくて、それがその“答え”であること。

 

たとえば、言われたことが自分に残っていなければ、それが私にとっての事実であって、反省はしなくてはいけないけれど、その事実も軽んじられるわけではない。

 

…厳然としてある事実、強い。

 

そんなことが分かった気がしたカンファレンスでした。

 

この内容を今後に生かさないといけないし、この話し方も今後身につけていかなくては、とアラサー学生は思うのでした。

fixの行方

締め切りのある仕事が与えられたとき、みなさんはいつそれを完成としますか?

 

ちなみに、その完成度は自分で決めるしかないものです。

 

今回それが与えられて、1週間以上作って、添削してもらって、そこからまた悩んで…。

 

いつになってもfixできなくて、印刷しては紙媒体で確認して直して、の繰り返し。

最後は「もういいや!」ってなって(笑)、今回はfixとしました。

 

これで考えていることが伝わるのかも不安だし、これが考えていることなのかも分からなくなっているのが現状…。

 

ももうやるしかないので、砕けてきます。

 

そうしたらまた積み重ねていけるから、と信じて。

同担拒否の社会心理学?

自己評価維持モデル self-evaluation maintenance (SEM) model というものがあります。

 

自分にとって関係が強いものを、同じくらいあるいはそれ以上に遂行する人が現れた場合、どうしますか?

 

社会心理学では、その場合に2つの対処があるとしています。

 

ひとつは、その人を遠ざける方法。

もうひとつは、親しくなってその人の能力を殊更に示す方法。

 

この、遠ざける方法って

同担拒否が起きるときの人の心に似てるんじゃ?

と思いました。

 

自分と同じくらい、あるいはそれ以上に、同じアイドルを応援している人がいる。

その人といると、その人にそのアイドルに関する知識があることが、どんどん外に知れ渡ってしまう。

 

それは今までの自分の立場を脅かすし、居心地も良くない。

 

だからその人と距離をとって、関心を向けないことで自分を守る。

 

そんな心の動きなんではないかと思いました。

 

 

でも実際には、好きになったタイミングやそのポイント、お気に入りの曲とかは違うはずなのに、そこで被ってしまうことを拒む。

 

 

キャラ被りを避ける、と言えばそれまでですが、その背景には自分が自分にしてきた評価(〇〇くんを深く知ってる私)を保つため。

 

自分を守ろうとするその人の気持ちが反映されていると思います。

 

 

そこをもし乗り越えたらどうなるか?

 

同じものを好きな人同士、良好な関係を築けるというのも、社会心理学のトピックなのですが、それはまたいつか。

ハマりものの波

経済には波がある。

家を建てる周期、製造業の機械を入れ替える周期…。

スパンはそれぞれ違いますが、ある波が一斉に来れば大きな潮流を作るという考え。

 

これって、ひととき、関心を向けない時期があるけど何かの拍子に、それにまた関心を向ける周期でもあると思っています。

 

そして、この考え方は、人にも当てはまるかなと思います。

 

 

流行りって戻ってきませんか?

 

 

私は割とそういうタイプで、一度ハマったものに何年か経って、またハマることが多いです。

 

しかも、2回目の方がどっぷりハマってしまうので、欲しいと思った時にはDVDがプレミア化してたりして…。

あぁ、高かったなぁ、Ready?コン(笑)

 

RAG FAIR、V6、バレーボール、高橋一生さん…

 

こんなに戻ってくる自分が分かってくると、次に他のものにハマるのが怖くなって、昔手を出したものを遠ざけるようにすらなります。

 

 

でも、そうなるべき時は呼ばれているときなのだ、と思います。

 

無意識のうちに、それを求めていて、出会うべくして出会って(というか、能動的に会いに行って)、そして深く付き合うのだと。

 

そんなことに、今日中学の時に吹いた吹奏楽の曲を聴きながら、考えていました。

大好きだったなぁ、『じんじん』。

 

ほんとうに大切なものに気づくまでに時間はかかってしまいますが、それが自分のスタイルなのかも、と思っています。

顔の見える買い物

いとこ会が無事終わり、午後はクラフトフェアへ。

 

革小物のお店で、小さい財布を買いました。

 

ブランド物のカバンとかは見ても全くわからない私ですが、顔が見える買い物が、ここ数年好きです。

 

相手の顔が見えることで、モノへの愛着も湧くし、作るときのちょっとした工夫やポイントを聞くのも楽しい。

 

 

ネットでの買い物もしますが、日々使うものだからこそ、そういった、顔が見える買い物をしたいと思うようになりました。

 

新潟にいると、なかなか機会が少ないのですが、だからこそ、ひとつひとつの機会を大事にしたい。

そして、こっちも真剣になって作られたものを見ていきたい。

 

そしてそれを積極的に使うことで、より愛着を強めていきたい。そう思っています。

 

はやくその財布でお出かけしたいです(笑)

 

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脈々と続くもの

昨夜はいとこ会でした。

 

父方のいとこが大集合。

三男五女のきょうだいから生まれた9人のいとこが参加。

(ほんとは全部で15人)

 

いとこ間の年齢差は、28歳。

上は68歳、下が40歳。

生まれた土地も違う(新潟、神奈川、東京)し、親子ほどの年が離れたいとこたちが一堂に会する感じ、とても面白かったです。

 

しかもみんな、はじめは緊張して会場入りしたっていうから面白い(笑)

 

昔話にも花が咲き、わたしの知らない話もたくさん聞きました。

いとこの人たちが伯父(わたしの祖父)が大好きだったと言ってもらえたことも、とても誇らしかったです。

 

元を辿れば祖父母が同じ人たち。

でもその中で、祖父母の名字を受け継いでいる人は2人しかいなくて。

 

そう考えると、改めて自分の名字が好きだし、愛しく感じました。

 

結婚はしたいけれど、この名字を手放してしまうことも惜しい。

 

そんなことを思いました。